2009年7月16日木曜日

ため池に関しての雑感

そろそろ院試一ヶ月前になるので、ため池のことはしばらく置いておくことになる。
今の時点で感じたことをちょっとまとめておこうと思う。
あんまりまとまってないけど。(たぶん読んでも意味わからんかも。。)


まずカミングアウトしておくと、俺はため池を見たことがない。と思う。
見たことがあるのかもしれないけれど、それを「ため池」と意識してまじまじと見たことがない。
たぶん、俺のようにベッドタウンに住んでいた子どもはそんなもんだろう。

自己紹介で、「卒論はため池の研究をします」と言ったときに、
「昔よく遊んだなー」とか
「昔よく水を奪い合ったなー」とか
「俺の庭みたいなもんだったぜ」みたいな反応が返ってくるときは稀で、
大概は、「ため池」ってよくわからない、と言われる。


要は、
ため池は、よくわからない。

ため池の利活用といったときに、
それが一番の問題であるように思われる。
そう思った理由を、ここで試行錯誤しながら説明を試みたい。



「農業の多面的機能」
と聞くと、何を想像するだろうか。
たぶん、田んぼとか畑とかやんね。

「農業の多面的機能」という概念の起源は知らないけれど、
その言葉が広まったのは、WTOの国際交渉で農業補助金撤廃の要求が高まったことが大きい。
農業生産に関する補助金ではなくて、「農業の多面的機能」に対する対価だ。という論理を使うことで、国内農業への支援を継続したかったからだ。
それがただのレトリックなのか真剣に理論として提唱していたのかは、微妙な線だけれど。

田んぼとか畑とかは個人の持ち物だが、
それが生み出す便益は社会全体に及ぶ。
「個人のものが、みんなにとっていい」という図式。
だからお金払ってもいいんじゃない。みたいな。


しかし、ため池はその図式に当てはまらない。
ため池は、個人のものではないからだ。
「個人のもの」でなければ、「みんなのもの」ということになって、じゃあ、ため池の多面的機能には「みんなのものが、みんなにとっていい」という図式が成り立つ。
のかというと、そんなことはない。

前者の「みんな」と後者の「みんな」は違う集団を指している。

多面的機能でメリットを得るのは、
ため池を治水用に改修することで洪水の危険から解放される「みんな」
ため池を釣堀にして、釣りを楽しむ「みんな」
ため池をアリーナにして、水上スポーツを楽しむ「みんな」
そしてもちろん、農業用水として使う、農業を営む「みんな」
といろんな人が含まれている。

そして一方で、
それを所有・管理・出資する「みんな」とは誰なのか、曖昧だ。


「誰なのか」という聞き方が現近代的過ぎるのかもしれない。
ため池がつくられていた時代はたぶん、「個人」とか「所有」という概念は今と違った共通認識があって、そうした当時の文化のうえにため池の管理システムが成り立っていた。
システムを、個が多様化した現在に合うように翻案しないといけないけれど、そのデザインはまだ黎明期にある。


文献をいくつか読んでいるとどうも、
1) 費用は行政が出して、管理も行政が
2) 費用は行政が出すけど、水利関係者が自主的に管理する
3) 費用も管理も水利関係者が責任を持つ
の中では、2が一番うまくいくような傾向があるように思えた。
農業目的だけなら、なるほど農業に携わる人のみが管理すればいいだろう。
でも、ため池を洪水調整池だとか、アリーナだとかとして使っている場合は、農家じゃない人も管理に関わるべきじゃないだろうか。

そもそも、ため池の魅力は「みんなで管理する」ということに起因するように思える。
水を奪い合い、いがみ合いつつも、ひとつの水の塊を共同管理する。
それは、大げさにいえばひとつの奇跡だ。
争うからこそ、安寧は価値を持つ。
みんながため池に関わるからこそ、
ため池は面倒で、けれど価値を持つ。
社会やひととの関係性を切り離せば、ため池をいかに豪華に改造してもそれはただの池だ。
「溜める」という能動的な動詞がついてこその「ため池」であって、勝手に「溜まっている」のは「池」に過ぎない。
そして、「溜める」の主語は誰かというと、きっと「みんな」だ。


じゃあ、誰がどうやって関わればいいかと言われると、正直答えに困る。
どれくらいの範囲の「みんな」が関わればいいのかわからないし、
関わってくれ、と言われたところで多くの人にとって、ため池はなんなのかわからない。
そんな得体の知れないものに関わりたくないし、
そもそもそんな得体の知れないものに税金を使うってどうなの?
みたいな話になることもあるだろう。


上に「社会やひととの関係性を切り離せば」と、仮定のように書いたけれど、実はもう切り離されて、ため池はただの池に成り果てているのかもしれない。
農家が溜めていようが、
自然のいたずらで溜まっていようが、
ため池ってよくわからない。というひとにとっては同じだ。
ただの「池」なんだ。


それを改善するのが唯一の道なのかもしれないし、
あるいは「池」だと割り切ることで新しい活路が見えるのかもしれない。
ともかくも、ため池とはなんなのか。
それをもう少し考える必要がある、と感じた。





…前は「祭りとは何か」って書いたけど、最近そういう悩み方が多いな(笑)

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